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アメリカ マッシュポテトを捨てる教会

旦那コラム

富の配分の難しさ

世の中は全然平等ではないので、もちろん格差があります。

格差があるのは富の分配が公平ではないからですが、それを再配分しているのが、例えば税や社会サービスです。でも、それだって全然万能ではないですから、みんなが満足いく形ではありませんし、社会的弱者を全て救済するものではありません。漫画で描いた教会の施しなどは、再配分後もまだまだ残っている格差をほんの少しでも埋めようとするものです。

 

そして、それはとても難しいことなのだろうと思います。

 

今回の問題点① 態度の問題

漫画では貰った食べ物を捨てる人を描きました。貰ったものを捨てる人には問題があると思います。僕は彼らの様に困窮していないのに施しを頂いてしまった、恥知らずの人間でしたが、それでも貰った食べ物を捨てるのには強烈な抵抗がありました。

教会の活動はきっと寄付で成り立っているでしょうから、自ら恵んでもらうことを求めておきながら最後にそれを拒否するのは、その善意に対するとんでもない裏切りのように感じられたからです。ひたすらに申し訳なく感じて、必死に完食をしました。(実は彼らはトレイにくっついたマッシュポテトを取るために、トレイをゴミ箱にガンガンと叩きつけていて、それを見るのも嫌でした。)

 

今回の問題点② 需要と供給の問題

しかし、彼らの態度が唯一の問題だとは思っていません。もう一つの大きな問題あって、それは用意されている食料とそれを必要としている人の数が合っていないということです。

教会には、その日その日で宿と食料が必要な人がやってきます。何人来るかは事前には知りようがないのです。多くの人が詰めかけて食料が提供できないというわけにはいかないでしょうから、多めに用意するほかないのでしょう。そこで発生する食料の無駄について、感情的には複雑ですが、システムとしてはどうしようもない部分がありそうです。とても難しい問題だと思います。

 

まとめ

以上のように、教会にいた時は感情的なもやもやを感じていましたが、後から考えると仕方ないことが多かれ少なかれあるのだろうなと感じます。

世の中には、表面的には納得いかなかったり、もっとうまく出来るんじゃないかと感じることがいっぱいあります。もしかしたら、富の再配分を行っている、税や社会サービスもそんな風に感じることがあるかもしれませんね。

仕組みを改善できるんじゃないかと思ったりしますが、問題の内実をもう少し深く考えると、きっと誰がやってもうまくはいかないのだろうという結論に達したりします。

そんな時僕は、この世の仕組みに対して少し諦めにも似た感情を抱くのです。

アメリカ スーフォールズにて